雅楽について 楽器について 
 
雅楽とは?
 雅楽とは、文字どおり「雅」な音楽と言う意味ですが、そこには正統な音楽と言う意味も含まれております。
現在、宮内庁式部職の楽部が伝承する日本音楽がその基準をなします。
今日、日本で「雅楽」と言う時には、古代の日本固有の音楽及び古代のアジア大陸諸国の音楽に基づき、又、その影響を受けて平安時代中期の10世紀ごろに完成し、主として宮廷、貴族社会、大きな神社やお寺などで行われてきた日本で最も古い古典音楽を総称します。
雅楽の種類
◎管 絃(かんげん)
 「管絃」とは、管楽器と絃楽器による合奏のことで、雅楽の中でも外来音楽を起源とするものに含まれます。外来音楽には、中国・ベトナム・インド・ペルシャなどの音楽を起源とする「唐楽(とうがく)」、朝鮮・渤海の音楽を起源とする「高麗楽(こまがく)」の2種類があります。
この内、唐楽には合奏曲である「管絃」と舞の伴奏曲である「舞楽」の両方がありますが、高麗楽には「管絃」はなく「舞楽」のみになります。
・管絃の編成
 一般的な管絃の編成は笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)の管楽器が各3人、琵琶(びわ)・箏(こと)の絃楽器が各2人、鉦鼓(しょうこ)・鞨鼓(かっこ)・太鼓(たいこ)の打楽器が各1人の計16人編成です。
  雅楽の管絃では指揮者の代わりに、鞨鼓の奏者が曲全体の流れやテンポを統率する役割をします。そのため、経験豊富なベテラン奏者が鞨鼓を担当することが多いようです。
また管楽器と絃楽器にはそれぞれ主奏者が決められており、管楽器の主奏者を音頭(おんど)、絃楽器の主奏者を面琵琶(おもびわ)・面箏(おもごと)と呼びます。

◎舞 楽(ぶがく)
 楽器のみの合奏である「管絃」に対して、舞を伴うものを「舞楽」と呼びます。
「舞楽」には唐楽と高麗楽の2種類があり、唐楽による「舞楽」を左方(さほう)、高麗楽による「舞楽」を右方(うほう)と呼びます。また舞そのものをそれぞれ左舞(さまい)・右舞(うまい)と呼んだりもします。
  舞楽は管弦に比べてリズミカルに演奏されるものが多く、管絃と同じ曲でも舞楽の場合には拍子が違うことがあります。
・舞楽の編成
 管絃と違い、舞楽では絃楽器は使用されません。
左方の場合には管絃と同じく笙・篳篥・龍笛・鉦鼓・鞨鼓・太鼓で演奏されますが、右方の場合には篳篥・高麗笛(こまぶえ)・鉦鼓・三ノ鼓(さんのつづみ)・太鼓という違った楽器構成で演奏されます(一部の舞楽では左方の編成で演奏するものもあります)。
◎歌 曲(かきょく)
 管絃や舞楽は外来音楽が起源ですが、「催馬楽(さいばら)」・「朗詠(ろうえい)」などの歌曲は平安時代に日本で作られた流行歌です。

  「催馬楽」は各地の民謡や和歌を雅楽風に編曲したもので、平安時代中期に流行しました。句頭(くとう)と呼ばれる第一歌手の独唱から始まり、笏拍子(しゃくびょうし)を打ちながら拍子をとり、付所(つけどころ)と呼ばれる部分から他の歌手が斉唱します。斉唱と同時に笙・篳篥・龍笛・琵琶・箏が入りますが、笙は管絃のときのように和音を奏するのではなく、1音または2音で旋律を奏します(一本吹き)。  
  「朗詠」は郢曲(えいきょく)とも呼ばれ、漢詩に曲を付けて雅楽風に編曲したものです。催馬楽が馬子歌など地方の民謡から起こったのに対し、朗詠は教養のある上流貴族から始まったと言われています。朗詠は漢詩を3つの部分に分け、それぞれの句の初めを独唱し、付所から全員で斉唱します。楽器編成は笙・篳篥・龍笛の3管だけですが、笙は催馬楽と同じく一本吹きで演奏します。
◎ 国風歌舞(くにぶりのうたまい)
 国風歌舞(くにぶりのうたまい)は、日本古来の歌舞(うたまい)です。「古事記」や「日本書紀」などの神話に基づくものが多く、神道や皇室に深く関わる歌や舞で構成されています。国風歌舞には次のような種類があります。

・ 神楽歌(かぐらうた)…「神楽歌」の起源は有名な日本神話「天石屋戸(あまのいわやど)」の物語とされています。そのため神事行事に用いられ、天照大神などの命日に宮中三殿の賢所(かしこどころ)で行われる「御神楽ノ儀(みかぐらのぎ)」で奏される歌の総称を言います。
・ 久米歌(くめうた)…「久米歌」は神武天皇が即位される以前、大和を平定したときの戦勝の歌であるとされています。この「久米歌」は、後に大伴氏・佐伯氏に受け継がれ「久米舞(くめまい)」という舞が付けられました。
・ 東 遊(あづまあそび)…「東遊」については、「古事記」や「日本書紀」だけでなく「風土記」の中にも記述されています。 「駿河国風土記」にある羽衣伝説から作られた歌舞であると伝えられており、「阿波礼(あわれ)」・「一歌(いちうた)」・「二歌(にうた)」・「駿河歌(するがうた)一段」・「駿河歌二段」・「求子歌(もとめごうた)」・「大比礼歌(おおびれうた)」から構成されています。
・ 大和歌(やまとうた)…「大和歌」は元々、「大直日歌(おおなおびうた)」・「大和歌」・「大歌」・「田歌(たうた)」の4曲で構成されていましたが、近年、「大和舞(やまとまい)」で使用する「大直日歌」・「大和歌」の2曲のみを大和歌と呼ぶようになりました。かつて「大直日歌」は節会(せちえ)の前夜に歌われる歌曲であったと言われていますが、現在では「大和歌」とともに舞われる「大和舞」の前奏曲として使用されています。
・ 大 歌(おおうた)… 天武天皇が吉野の離宮で琴を弾いていたときに、前にある山の峰から乙女が舞い降りてきて歌い舞ったという故事が「大歌」の起源とされています。この「大歌」を伴奏に舞われるのが「五節舞(ごせちのまい)」と呼ばれるもので、5人の舞姫によって舞われる、現在唯一の女性の舞です。
  舞姫は十二単(じゅうにひとえ)に髪をおすべらかしにして、手に檜扇(ひおうぎ)持って舞います。この「五節舞」は天皇の即位の大礼の饗宴でのみ演じられる特別な舞です。
・ 誄 歌(るいか)…天皇の命令によって各地を平定した「倭建命(やまとたけるのみこと)」が、帰路の伊勢の国の鈴鹿群能煩野(のぼの)で病死された際、后(きさき)や子供が能煩野に行き、御陵を作り、丁重な礼葬をして、泣きながら4首の歌を詠まれた、と古事記に記されています。この4首の歌のことを「誄歌」と呼びました。 昭和天皇の御大葬(おおみはぶり)でも「誄歌」を奏したように、天皇が亡くなられたときのみに奏される特別な歌です。
・ 悠紀・主基(ゆき・すき)…天皇即位に伴う皇室行事・大嘗祭(だいじょうさい)のなかで行われる、悠紀殿の儀・主基殿の儀で歌われ、その後の饗宴で舞われる「悠紀地方の風俗舞」・「主基地方の風俗舞」を総称して「悠紀・主基(ゆき・すき)」と呼びます。この「悠紀・主基」は、これらの行事のために新しく作られる歌舞で、例外を除いて再演されることはありません。 「悠紀・主基」の創作は、都から東北方向を悠紀地方・南西方向を主基地方として、ト占(亀の甲を焼いて、その割れ目で占う)によって場所が決められることから始まります。平成の場合は、悠紀地方が秋田県南秋田郡五城目町・主基地方が大分県玖磨郡玖珠町でした。こうして選ばれた「悠紀地方・主基地方」の風景や地名を詠み込んだ歌を4首づつ作り、曲が付けられた後祭祀の中で歌われます。また饗宴では、更に舞も付けられて雅楽舞台で舞われます。
 調子・拍子
 ◎調 子(ちょうし)
 雅楽には「壱越調」・「平調」・「双調」・「黄鐘調」・「盤渉調」・「太食調」の6種類の調子があります。
もともとはこの6調子に「沙陀調」・「壱越性調」・「性調」・「水調」・「乞食調」・「道調」を加えた12種類の調子があったようですが、長い年月に消滅したり、6調子にいれられたりしたようです。

◎拍 子(ひょうし)
 雅楽の拍子には延拍子・早拍子・只拍子・夜多羅拍子などがあり、そこからさらに細かく分かれています。

延拍子…延八拍子・延四拍子
早拍子…早八拍子・早六拍子・早四拍子
只拍子…延只八拍子・早只六拍子・早只四拍子
夜多羅拍子…夜多羅八拍子・夜多羅四拍子
 
 

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