幕末の剣聖 千葉周作

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幕末の剣聖 千葉周作

 幕末の剣聖千葉周作は、少年時代を当時は栗原郡荒谷村であった大崎市古川荒谷に鎮座する荒谷明神(斗瑩稲荷神社)で過ごしました。その幼名を於菟松といい、5才頃、父幸右ェ門に伴って陸前高田より斗瑩稲荷神社下に居を構えました。

千葉周作1

 父も剣の道に優れていたこともあり、村の見廻役等をしていたそうで、粗末な家ではありましたが座敷牢のようなものがあったと伝えられています。

千葉周作2

 周作の少年時代を伝える話に、斗瑩山麗を流れる小川でのカメ蜂退治や捕物の話(上記写真)、あるいは、桜の目石母田邸での道場破りなど、剣聖の少年時代にふさわしい数々の逸話が残されています。
 周作は剣の道を、父幸右ェ門により日々手ほどきを受け、15歳で江戸にのぼるまでの10年間、この斗瑩山麗で修行を積みました。その屋敷跡は整地されましたが、神社境内にある、古井戸は近年まで残っていました。かくして周作は長い修行の末、北辰一刀流をあみだしましたが、その素地は実にこの地で生まれました。さらに、北辰という字も北斗七星を意味し、あるいは、光り輝くの意をもつ斗瑩が妙見に由来しているものと思われます。隣の光明寺には一族の墓があります。

千葉周作3

 昭和57年6月16日、NHK「歴史への招待」で千葉周作が特集された際、荒谷斗瑩稲荷神社境内が少年時代の生い立ちの地として全国に放映・紹介され、平成20年2月1日号の週間朝日においても全国に紹介されました。
 尚、歴史通で知られる司馬遼太郎著の千葉周作の伝記「北斗の人」(角川書店、743円)には、陸前栗原郡荒谷村に転居してきた経緯や、斗瑩山麗を流れる小川でのカメ蜂退治の記載があります。