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着帯のお祝い・安産祈願

 子宝に恵まれたことを神さまに感謝し、妊娠5ケ月の戌(いぬ)の日に着帯(ちゃくたい)の祝いを行います。
 戌の日が選ばれるのは、犬の安産にあやかるためと言われ、妊婦は赤ちゃんが岩のように丈夫に育ちますようにとの意味の込められた「岩田帯(いわたおび)」をしめます。そして、母体の安全と無事に赤ちゃんが生まれることを願って安産祈願をします。
  地方によっては、産土さまに安産祈願のお参りをした時に、境内にある小石を持ち帰ってお守りにし、お七夜が過ぎると元の場所にもどしに行く風習があります。
  出産のときに箒(ほうき)を立てると安産だという言い伝えがあるのは、箒の実用性から、災いを払い霊魂をかき集める神聖な道具であると考えられたからです。

出産

◆産湯(うぶゆ)
 赤ちゃんが生まれるとすぐに産湯をつかわせます。産湯とは、産土さまのお守り下さる土地の水のことです。その水でお清めすることで神さまの産子(氏子)となるのです。
◆産着(うぶぎ:産衣)
 産湯をつかわせた後、赤ちゃんを袖や紐のない一つ身のおくるみにくるみます。そして、生後3日めになると、ミツメの祝いをして、袖のある産着を着せます。
  産着に麻の葉の紋様を縫い付けることもありますが、これには、赤ちゃんが麻のようにまっすぐに成長しますようにとの願いが込められています。お母さんが一針一針こころを込めて縫い上げた産着は、赤ちゃんを優しく守ってくれるでしょう。産着が母方の親から贈られるのは、生命のつながりを大切に考え、最も新しい生命を祝福するという意味があります。
  地方によっては、生まれてすぐ白または空色の産着を着せ、その後、色直しといって、人間の仲間入りをさせる意味で、色のある着物を着せるところもあります。
◆産飯(うぶめし)
赤ちゃんが誕生した直後に炊いたご飯を、産土さまにお供えして、そのご飯を下げていただきます。またご飯を食べられない赤ちゃんの分も用意するのは、神さまの御霊がこもったお下がりを分ちいただくことで、赤ちゃんが無事に育つようにと願うからです。また、産飯を親戚や見舞客など、多くの人にふるまうことは、赤ちゃんを社会的に認めてもらうという意味があります。

お七夜・命名

 赤ちゃんの名前は、誕生後の7日めのお七夜(おしちや)に付けるのが習わしです。昔は、誕生しても必ず無事に育つとは限らないことが多かったために、お七夜は、赤ちゃんの無事な成長を確かめる大切な節目でした。
 名付けは、両親、祖父母、あるいは尊敬している知人、仲人さん等にしてもらいますが、名前は、赤ちゃんにとって一生付き合ってゆく大切なものですから、神社にお願いして神さまから授けていただくのもよいでしょう。赤ちゃんの名前は、命名書に書いて神棚に供えます。
 赤ちゃんの名前には、両親の願いが込められています。その意味では、両親が子供に贈る、最初で最高の贈り物といえるのかも知れません。
やがて子供が大きくなって、自分の名前のことを考えるときに、両親が自分の名前に込めてくれた願いに気づくのではないでしょうか。

初宮詣・安産御礼

 子供が生まれてから或る日数がたつと、初宮詣が行なわれます。 これは男児32日、女児33日目にお参りするのが普通で、地方によっては50日、100日とするところもあります。
  初宮詣は、氏神様に参るのが普通です。これは生児を初めて神様の見参に入れる行事で、いわば『初名告り』を意味するものです。初宮詣をすることによって神様にお認めいただくことが、地域社会の『氏子入り』の条件となるというしきたりは今でも各地に残っています。それがその社会的な承認につながって行くことにもなる訳です。
  初宮詣の時の赤児には、里方の親から晴れ着を贈られるのが通例です。その多くは紋付であって、これが式服であることを物語っています。この紋付は、おおよそ平安時代装束の文様が時代を経るに従って紋所として固定したものです。鎌倉武士の旗印や戦国時代以降の武士の裃、さらに江戸時代に入ると一般庶民の紋付きにまで紋所がつけられるようになりました。
  紋所のつけられる場所はボンノクボの場所に当たり、 ここは神霊の宿る所と考えられていました。そのはじめは幼児の深曽木(ふかそぎ:5歳男児の断髪式)の時に祖霊の宿るボンノクボだけは剃り残すことから来ています。
  土地によっては、初宮参りの時に赤ちゃんの額に鍋墨などで犬の字を書いたり、点や一の印をつけることが行われています。女児ではさらに頬に紅をつけることもあります。

お食初め

 生後100日め頃に、大人と同じ食膳を用意して、赤ちゃんに食べるまねをさせます。百日めの祝いということからモモカの祝いとか、初めて食べさせることから、ハシゾメ・ハシゾロエとも言います。
 お食初め(おくいぞめ)には、赤ちゃんが一生幸福に育ち、食べるものに困らないようにとの親の願いが込められています。
 食膳には赤飯のほかに、鯛などの尾頭付きの焼魚が付けられますが、これには、柔らかな赤ちゃんの頭が早くしっかりするようにとの意味があります。また、海や川から拾ってきた小石を食膳にのせるところも多いようですが、これは子供の歯が丈夫になりますようにとの意味からです。

初節句

  33日を女児の節句、55日を男児の節句として祝いますが、生後初めて迎える節句を「初節句」と言います。初節句には縁起物を贈答するなどして赤ちゃんの健やかな成長を祝います。
◆雛祭
  33日の雛祭り(ひなまつり)は女児の節句で、雛人形を飾り、白酒・雛あられ・菱餅を供え親しい人を招いて祝います。雛祭りは、桃の節句、弥生の節句とも言われます。
◆雛人形
 古くは人形(紙で人を形どったもの)で体をなでて身の穢れをそれに負わせ、海や川に流す風習でした。この人形と飾って遊んだりする人形が結び付いて、雛人形になり、雛祭りになったのです。
◆端午の節句
  55日の端午(たんご)の節句は男児の節句で、鯉幟(こいのぼり)・菖蒲(しょうぶ)・武者人形などを飾り、粽・柏餅を供えて祝います。
◆鯉幟・武者人形・兜(かぶと)
 菖蒲と尚武が同音であることから、55日が男の子の節句となりました。立身出世しますようにと鯉幟や、強さを意味する武者人形が飾られるようになったのです。◆菖蒲湯
 55日に菖蒲の葉を風呂に入れて浴する風習です。菖蒲は昔から薬草で、邪気を祓って心を清め、火災を除くと信じられています。
◆五節句
 年中行事の中でも、特に重要とされた日のことをいいます。

人日(じんじつ)の節句
17日)

この日の朝には、七草(芹・なずな・御形・はこべら・仏の座・すずな・すずしろ)の入ったお粥を食べて無病を祈ります。

上巳(じょうし)の節句
33日)

上記参照

端午(たんご)の節句
55日)

上記参照

七夕(たなばた)の節句
77日)

織女祭とも星祭ともいわれ、子供たちの読み書き、手芸などの上達を七夕さまに願います。

重陽(ちょうよう)の節句
99日)

菊を浮かべた酒を飲むことから菊の節句ともいいます。陽は「生」を意味し、陽(奇数)の最大数である九が二つ重なることから不老長寿を願う風習があります。

七五三

 七五三祝いは、男女児関係の別なく、三、五、七歳を祝う地方もありますが、男児は三歳と五歳、 女児は三歳と七歳に氏神様にお参りして祝うのが、最も一般的です。
 古くは、髪置(かみおき)、袴着(はかまぎ)、帯解(おびとき)などの祝儀が行なわれていました。髪置は、誕生後はじめて髪を伸ばし始める儀式で、生髪(せいはつ)または、髪立 (かみたて)ともいいます。袴着とは、平安時代より三歳の時に男女共初めて袴を着け、碁盤に立たせる公家の儀式でしたが、もっぱら男児の祝とされたのは、女児の帯直、即ち女児が七歳になると、初めて帯をする祝いがあるのに対してだと言われています。
  七五三祝が現在のように1115日に一定したのは、天和元年(1681)徳川綱吉の子、徳松をこの日に祝ったのが前例になったためです。
  大人の厄年と称されるものが体力の変化する節を示しているのと同様に、三歳、五歳、七歳は医学的に見ても子供の発育上の段階で 、三歳で言葉を理解し、五歳で知恵づき七歳で歯が生え変わる。その一面いろいろな病気にもかかりやすく、種々な危険が伴う大切な時期であります。この大切な時期に健全な成長を神様に祈ることは親心の自然から起ったものであろうと思われます。
  当日は父母が子供を連れて氏神様に参り、無事成長のお祈りを致します。服装はさっぱりした清らかなものが良いでしょう。
  このような、良い日本の伝統は持続させなければなりません。七五三の日、父母共に神前に手を合わせた思い出こそ子供に信仰の芽生えを与え、その一生を楽しくさせるものではないでしょうか。
  着慣れない着物を着て長時間おとなしくしていることは、子供にとってもつらいことですが、せめて御祈祷の時ぐらいは、きちんとしたいものです。「今日は、〇〇ちゃんが健康で良い子に育ったことを神さまに見てもらうためのお祝いだから、きちんと神さまにご挨拶しましょうね。」と声をかけてあげれば、子供ながらに、「今日は私のお祝いなんだ」とわかるものです。お参りの作法は、神社で教えてくれますので、お祝いのお子さんを中心にして家族みんなでお参りしましょう。
  子供が生まれてから七才になるまでの間に様々なまつりが行われるのは、昔から子供は「七才までは神の子」として、神と人との世界の両方にまたがっていると考えられていたからです。
 

成人式

 男女共に一人前の人間になったことを公認される式が成人式(成年式)です。昔の武家は元服ということを行ないましたが、それはわが国固有の成年式を武家の礼法を持って行なうものです。しかし元服のような一つの定式ができ上がると、またそれが一般庶民の間にも影響したようです。
 武家の元服は成人に侍烏帽子(さむらいえぼうし)をのせる儀式で、これは公郷の初冠式にならったものでした。一般でも、帽子は頂かなくても元服とか烏帽子祝ともいいました。
 成年式は、多くは13歳から15歳前後に行なわれ、昔は髪かたちと衣類を大人のように改めたものでした。またそれまでは幼名で呼んでいたものを正式に大人の名が付けられるならならわしでした。 この式の時に親戚や近所の人を招いてお祝をする風習は今も広く行なわれていて、ただ違う所は年齢が二十歳になっている点です。元服には血縁の長老または社会的に然るべきひとが烏帽子親になり儀式を取り仕切りました。
 成人になった者は神事に参加する資格を与えられたといいます。これが今では公民権を与えられて、親から離れ、選挙権を与えられています。その他成人にはいろいろ試練が待っていて、若者組に入って鍛えられ、信仰的には霊山霊所に詣ることがありました。  
 人が生まれ育って、一人前の資格を与えられることについては、洋服や着物を着飾ることはうわべのことで、本当は厳しい世の荒波に乗り出すことを意味します。神社などにお参りして晴れ晴れとした成人たちに、前途の平安を祈らずに入られません。

神前結婚式

 結婚は、数ある人生儀礼の中でも最も晴れやかな節目です。神さまのおはからい(御神縁)によって結ばれた二人が、神さまの前で、苦楽をともにして明るく楽しい家庭を築き、子孫の繁栄をはかることを誓い合います。
 何と言っても、共同体の最小単位は家庭です。素晴らしい家庭があってこそ、国の繁栄や世界の平和がもたらされるのではないでしょうか。
 神前結婚式というと、多くの人は三三九度を、女性ならば白無垢・綿帽子・角隠しを思い浮かべることでしょう。神に仕える衣装は、清浄感に満ち溢れた白が使われてきたことから、神さまの前で結婚式をあげる時にも、白い衣裳が用いられることになったようです。
 また、綿帽子や角隠しは、神職がかぶる冠や烏帽子(えぼし)と同じように、神さまの前に出る時のかぶりものなのです。
◆神前結婚式次第
 式次第は、地方によって多少の違いはありますが、一般的には、まず、修祓(しゅばつ)というお清めのお祓いを受けます。続いて、神職が二人の新しい門出を祝う祝詞(のりと)を神さまに申し上げて、神さまの御加護をお願いします。その後、新郎新婦が大・中・小三つの杯に注がれた神酒をくみ交わす三献(さんこん)の儀(三三九度)が行われ、二人が誓いの言葉を神さまの前で申し上げ、指輪の交換をして玉串を奉ります。最後に両家の親族を紹介をして固めの杯を交わします。
◆神前結婚式のはじまり
 神前結婚式は、明治33年、当時皇太子であらせられた大正天皇が、宮中の賢所(かしこどころ)で行わせられた御結婚の礼を記念して、翌年、現在の東京大神宮ではじめて行われ、一般に普及しました。

厄 年

 人がある年齢に達すると、これを厄年だといって厄祓いをする風習が古くからあります。 厄年という考え方はもともと陰陽道から出た説で、平安時代にはすでに盛んになっていました。 公家の社会で盛んであったことは源氏物語『若葉』の巻の中に紫の上が37歳の厄年になったので加持祈祷をし物忌みをしたと見えていることでもわかります。
 厄年は男子の25歳、42歳、61歳、女子の19歳、33歳、37歳を指しているのが普通です。特に男子の42歳と女子の33歳は、厄でも一生の大厄とされています(年齢は数え年)。この年には、それぞれ前厄・本厄・後厄とあって、前後3年間を慎むものとされました。
このほか地方によって厄年とされている年齢が多少異なっていて、男女とも7歳と13歳、また女子の19歳と37歳、男子の25歳・42歳・61歳・77歳・88歳などがあります。しかし、これらは厄年であるとともに『年祝い』の年にも当たっているようです。
その祝いについては、正月に神社に参って厄祓いをしてもらうとそのことによって厄が転じて福となるという考え方に変わります。

年祝い

 両親や祖父母をはじめ、一家のものが長寿であることほどおめでたいことはありません。還暦の祝いをはじめ、ある一定の年齢に達すると、一家そろって長寿の祝いをします。

還暦(61才)

十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせは60通りあり、自分の生まれた年と同じ干支がまわってくるのはちょうど61年後になります。干支が一巡して元に戻るというので、生まれ直すという意味から、赤い頭巾やチャンチャンコが贈られます。本卦(ほんけ)がえりという場合もあります。

古希(70才)

中国詩人杜甫(とほ)の詩「人生七十古来稀(まれ)なり」という言葉からつけられました

喜寿(77才)

喜の略字が七・十・七と分解されることからつけられました。

傘寿(80才)

傘の略字が八・十に分解できることからつけられました。

半寿(81才)

半という字が八・十・一に分解できることからつけられました。また将棋盤の目が八十一あることから半寿は盤寿ともいわれます。

米寿(88才)

米という字が八・十・八に分解できることからつけられました。

卒寿(90才)

卒の俗字「卆」が九・十に分解できることからつけられました。

白寿(99才)

百の字から一をとると白という字になることからつけられました。

上寿(100才)

六十才の下寿、八十才の中寿に対するもの。

茶寿(108才)

茶の字は十が二つと八十八とに分解され、合計が百八となることからつけられました

皇寿(111才)

皇の字が白と王に分解され、白が九十九、王が十二ということで合計百十一となることからつけられました。

神葬祭

 神式による葬儀を、神葬祭といいます。葬儀は、初宮詣などに始まる人の一生を通じての数多くの人生儀礼の中でも、最後の重儀ですから、手厚く奉仕せねばなりません。 神葬祭には、次のまつりが含まれています。

◆枕直・納棺祭 ◆遷霊祭 ◆通夜祭◆告別式◆出棺祭◆火葬場祭◆納骨祭◆霊祭◆直会

尚、 法名等は無く、男女の違いで「故(男・氏名)大人之命」「故(女・氏名)刀自之命」に分けられます。

989-6252 宮城県大崎市古川荒谷字斗瑩28

斗瑩稲荷神社々務所(とっけさま)

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